「処断せよ」
 皇は、ごく当たり前のようにその言葉を口にした。ムドガラは辺りに目を走らせ、自分の他にこの言葉を聞いたものが居ないか確認した。いや、誰も居ないのは分かっている。しかし、主のあまりの発言に動揺し、辺りを確かめずには居られなかった。
「それは、まことでしょうか」
「何を問う。我の言葉が真でないならば、真にするのがお前の仕事だろう」
 皇は揺るがない。自分がいかに彼に近かろうと、彼を揺るがすことはできまい。常世の絶対たる礎、それが皇だ。何人たりともそれを揺るがすことはかなわない。ムドガラは頭を垂れ、是とのみ答えた。

 硬い石の廊下に、自分の荒々しい足音が響く。ムドガラは苦々しい思いで、皇の命令を思い返していた。
 城に仕える文官の一人が、我が裾もとに火をつけんとしている、皇はそう言った。皇の耳に届くまでもなく打ち払われるはずの、根も葉もない噂だ。しかし、皇は知っていた。思った以上にこの城の腐敗が進んでいるのを感じとって、ムドガラは嫌な焦りを覚えた。
 噂になった文官は、自分と同じように皇の即位以前から仕える忠臣である。忠臣ゆえに、昨今の皇の豹変に反発を覚えているのも確かだ。そこに付けいった奸臣がこのような噂を流したに違いない。彼の処断は明日、行われる。
「あなたは下らぬ猜疑に囚われて、家臣の信をも失うつもりか」
 ごく低い声で、ムドガラは漏らした。これで、彼と同じように以前の皇を知って仕えている家臣は皆、皇への不信を強めるだろう。これもやはり血か。己の兄と同じ道を行かんとする主を思い、ムドガラは睨みつけるように窓の外を見やった。赤黒い太陽が煌々と、不毛の大地に君臨している。
 ――ときおり、自分がだれに仕えているのか分からなくなることがある。国か、それとも皇か。国のためを思えばこそ、ムドガラは皇に仕えたのだ。その仁は厚く、その智は国を遍く見通し、獅子王と謳われたスーリヤに。分からなくなったからこそ、より一層彼に従うのかもしれない。
 明日、己が斬る忠臣の友を思い、ムドガラは歩む足を速めた。




2010/4/7