*敦盛と神子







1.



 アスファルト上の景色は、熱気で揺らめいていた。
 地面から立ち上がってくる熱とつむじを突き刺す太陽の熱線が、敦盛の視界を圧倒する。こちらの世界に何とか慣れようと勉学に励むあまり、引きこもりがちになっていたせいか、体がいやに重い。肌をぬらす汗をぬぐい、敦盛は眩しさに眩んだ目を辺りに向けた。体の重さなど些細な事に思えるくらい、視界は光で満ち溢れている。夏というのは、どの世界でも似通っているようだ。空は鮮やかな青に染め上がり、ぶくぶくと拳のように膨れ上がった雲がまばゆいばかりの白さで目を焼く。蝉の鳴き声が四方から身に降りかかり、目に鮮やかな濃い緑や草花の色の洪水とともに、心をやけにざわめかせる。静かな場所で涼むのもいいが、このように日の当たる騒がしい場所も、敦盛は嫌いではなかった。強い生命の躍動は、憧れずにはいられない彼女のしたたかさを思い出させた。
 夏になってからやや出不精になっていた敦盛を外に引っ張りだしたのは、望美の提案だった。デートしましょう、どこか行きたいところはありますか、と聞かれて、彼女の気遣いが嬉しくて、敦盛は一も二もなく答えた。海に行きたい、と。
実は、彼女が学校に通っている間、譲にいくつかアルバイトを紹介してもらっていた。ボロが出ないよう厳密に選んだ上に短期間のものばかりだったが、それなりの額は稼げたし、この世界のことを学ぶ良い勉強にもなったと思う。望美たち学生が夏休みという長期休暇に入れば、これで食事か何かをご馳走しようと思っていた矢先の誘いだった。いつも案内をしてもらっているから、今度は自分がと言うと彼女は嬉しそうにほほ笑んだ。
 彼女に誘われてから、悩みに悩んだ今日一日の計画は果たして喜んでもらえるだろうか。こういう時、ヒノエのような要領の良さがあればいいと思うのだが、あいにく敦盛は彼ほど女性を喜ばせる術に長けていない。今回海を選んだのは、少しでも地の利がある場所をと思った故のことだ。海は、敦盛にとって少し特別な場所だ。おそらく、自分が幼いころに強烈な体験をした場所の多くが海だったからだろう。明朗闊達な幼なじみに半ば引っ張られるような形で、冒険と称した様々な無謀を冒したことを思い出して、敦盛はわずかに苦笑した。京に戻ってから穏やかな日々を過ごすことが叶わなかったせいか、あの日々がより一層輝きを帯びて思い出される。戦は好きではなかった、哀れなものばかりが生まれた。ただ敦盛は己の家族や友人たちと楽を奏でたり、季節の移り変わりを愛おしみ、ささいだが穏やかな優しさで満ちた日々を送りたかった。自分のように臆病な人間は、武人につくづく向いていなかったのだろう。その弱さが兄に反魂の術などという外法に手を出させてしまう原因となった。
 ふと暗い考えに行き着いてしまった自分にうんざりして、敦盛は歩く足を早めた。神子と過ごせる今日という良き日に、こんなことを考えてはいけない。聡い彼女は、自分の落ち込んだ気持ちをすぐに察知してしまう。敦盛はどろつく思考から逃れるように、足を早めた。望美との待ち合わせ場所は、駅だ。すぐ近所に住んでいるのだから一緒に向かえばいいと敦盛は思ったのだが、彼女は「せっかくだから待ち合わせしたいんです、だってデートだもの」と主張したため、この形になった。できるだけ彼女と長く過ごしたいという気持ちもあったものの、そもそも、この世界の常識について敦盛は知らないことが多すぎる。デートとは待ち合わせをするのが作法なのだ、と曖昧に理解して、敦盛は自分の意見を押し込めた。
 敦盛が駅に着いたとき、望美はすでにそこにいた。夏休み時期のせいか駅には人がやたら多かったが、彼女の姿は一瞬で見つけられる。約束の時間よりも半刻ほど早く着いたはずなのだが、と敦盛は焦った。
「待たせてしまったようですまない。時間を間違えてしまったようだ」
「わ、違うんです。そんなに待ってないし、それに私が早く着すぎちゃったんですよ。敦盛さん、絶対約束の時間より早く来ると思ったから、どうしても先に着いておきたくて」
 そう笑う彼女の額ににじむ汗と火照った頬に、胸が締め付けられるような心地がして、敦盛は言葉を続けた。
「ありがとう、暑かっただろう。飲み物は飲んだだろうか?」
「あ、そういえば忘れてた」
「茶を持ってきた。少しぬるくなってしまったが、飲むといい。まだ口をつけていないから」
 鞄からペットボトルを取り出して手渡すと、彼女は少しだけすまなさそうな顔をして、口をつけた。少しそらした白い喉が、嚥下するたびに脈動するように動く。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、敦盛は目をそらした。
「ありがとうございます。あと、ごめんなさい。いっぱい飲んじゃって。後でお返ししますね」
「いや、渇きを満たせたのならよかった。それほど待たせてしまったのだな、本当に――」
 続けようとした言葉は、彼女の柔らかな手のひらに遮られた。
「ほら、ごめんなさいの言い合いは無しにしましょう。せっかくのデートなんですし」



2013/07/09